1978年(昭和53年)春に慶應義塾大学医学部を卒業し、国家試験に合格後、同付属病院で2年間の 内科研修を終了。
教育の一環として台東区の永寿総合病院内科に2年間常勤医師として勤務し、主として血液疾患の患者の診療に当たる。
1982年夏に慶應義塾大学医学部内科に戻り、血液研究室に所属する。
血小板の免疫の研究に従事し、1985年1月に博士号(医学博士)を取得。同年2月より米国ウィスコンシン州ミルウォーキー市にあるThe Blood Center of Southeastern Wisconsinで、Dr. Kunickiの元で引き続き血小板の免疫の研究に従事した。
1988年3月に帰国し、同年4月から信州大学医学部第二内科に勤務。
その後輸血部勤務を経て臨床検査医学に移り、 1993年5月より講師(中央検査部副部長)、同年9月より助教授となった。
その後全国の国立大学病院で初の遺伝子診療部の立ち上げに参画し、1998年2月に開催された長野冬季オリンピックではドーピングコントロール責任者を務めた。
同年6月より米国カリフォルニア州サンディエゴにあるThe Scripps Research InstituteでVisiting Scientistとして血小板を中心とした血栓に関する分子生物学的研究に従事。
その後ビザの関係から近隣のTorrey Pines Institute for Molecular Studiesに移籍。
2003年9月にグリーンカードを取得後、翌10月に帰国し、同11月より我が国最大の臨床検査センターである(株)エスアールエルの理事に就任。
主として新しい検査法の発掘、開発の指導に当たる。
その傍ら、2005年6月より治験専門のピーワンクリニックを開設して院長となり、現在に至る。
また2007年2月より医療法人社団慶幸会を設立し、理事長となり現在に至る。
今までの経歴を通して臨床医(血液内科)としての経験、基礎研究者(免疫学、分子生物学、細胞培養など)としての実績、大学病院の臨床検査部(遺伝子検査を含む)の運営、遺伝子診療部(信州大学)の立ち上げおよび診療への参画、日本最大の臨床検査センターの理事としての視点および人脈、治験クリニックの経営を通じた創薬への関与、米国での生活(合計8年半)による国際的感覚などを身に着けた。